僕は自分で、非常に平凡な声だと思いますね。
自分の声は特別だと思ったことはあまりないですね。
多少は、「お、いいかな」と思うことはありますよ。
そういううぬぼれがないと、こういう稼業はやっていられないんですけれども(笑)。
でも、客観的に、冷静になって考えてみれば、自分の声は非常に平凡な声だと思いますね。
例えば、若山弦蔵さん、大平透さん、納谷悟朗さん、熊倉一雄さん。
いろいろ多彩な声があるじゃありませんか。
だけれども、そういう声と比べたら、僕のは非常に平凡ですよね。
ただ、それを支えているある種の語り口、イントネーション、例えば語尾の処理とかに、
もしかしたら僕のパーソナリティーがあるのかもしれないなということは時々思いますね。
例えば、「リチャード・キンブル 職業 医師 ただしかるべき正義も時としてめしいることがある」。
こういうふうに、つまり一つの流れをどうつくるかということですよね。
止めて、止めて、流す。
そういう自分なりの語り口のリズム感と流れを醸造する。
何かそこに僕の、少し特徴があるのかもしれないな、と思うんですが。
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