とにかく久松(保夫)さんの、あのすばらしいエロキューションに、こっちはついていくのが精一杯でした。
ですから、とにかく久松さんの芝居を乱してはならぬ。
ということは、こっちがとちってはいけない。
何とかウィリアム・シャトナーの吹き替えとして、そのシーンをしっかりと乗り越えること。
あの作品をやっていた当時、僕はそれだけで精一杯だったという感じが否めませんね。