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矢島正明 エッセイ 「時の過ぎゆくままに」 (1)

 

「 はじめに 〜 私が声優になったきっかけ 」


皆さん、こんにちは。
矢島正明です。

このエッセイを書くにあたって、僕が俳優、そして声優の仕事を始めたきっかけを、まず最初にお話ししたいと思います。

「きっかけ」と言っても、なかなか一言でお答えするのは難しいですね。

僕は子どものころ、近所の子供たちを集めて、紙芝居をやるのが大好きでした。

得意なレパートリーが三つくらいありました。こんなことも一つのきっかけになっているのかもしれませんね。

でも、一番大きいのは終戦の年ですか・・・昭和20年の4月から8月にかけて。

一番戦局の厳しい時代ですけれども・・・僕は中学1年でした。

学校に通っていますと、昼間、偵察機が来るんです。そうすると、空襲警報が鳴り、授業が休みになる。

そんな時に、僕はよく浅草へ行ったんです。金龍館、常盤座、大勝館。この三つが厳しい戦時下でも芝居をやっていました。

そこで、きどしん(木戸新太郎)とか、しみきん(清水金一)という軽演劇をたくさん観ました。

それも一つの下地になっているでしょう。

それから、高校3年くらいになりまして、今度は新宿のムーラン・ルージュですね。

森繁久彌さんが中央へ出てしまった後のムーラン・ルージュではあったのですが、

それでも中江良夫とかとか菜川作太郎とかという、錚々たる作家たちがいまして、結構おもしろい風俗劇がたくさんありました。

そういうものを、授業が終わった後に道草をくって観たというのも、一つの演劇的な素地だったと思うんです。

そして大学へ入って、今度は放送研究会に入りました。

そのころになると、自分は演劇の世界で生きていきたいなという思いが定まってきていまして。

でも、自分の背丈や顔では舞台栄えがしないなと思っていたわけです。青春時代に。

僕が生きられるとしたら、もしかしたら声の世界かもしれない。

声が僕の一つの劇的な表現の道具になっているのかもしれない、というような思いがあって、放送研究会に入りました。

当時、大学のドラマコンクールがあって、私が主役を演じた創作ドラマが第1位になったことがありました。

当時はまだ民放ができたばかりでしたから、たちまちそれが放送にのったりして。

そういったことから、何か僕にも一つの可能性があるかもしれないというように思い出した。

その辺がこの世界に入るきっかけになったのかもしれません。

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